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2025/07/04

海外で働く(フランス奮戦記) 1日目

こんにちは、押尾です。

私は2009年の年明けから、2010年年末まで、

フランス・グルノーブル市にあるサッカーチームで働いていました。

日本の親会社から出向し、財務担当として資金繰りや予算などを担当していたわけですが、

今日はその時のことを書いていきたいと思います。

 

さて、私は日本のI社という(今はない)会社の経理として働いていました。

英語ができるので海外子会社の連結決算なども担当していたのですが、その一つに、

グルノーブル市にあるサッカーチームがありました。

 

私が働いていたI社は、2004年前後にフランスのサッカーチームを買収しました。

ITバブルの波に乗り、積極的なM&Aで成長を続けていた同社は、その一環として海外にある

グルノーブルフット38を買ったわけです。当時、2億円ほどだったと聞いています。

他にもフランスに2社子会社があり、そのシナジーなどを考えていたのでしょうか。

 

グルノーブルはフランスの中南東部、イタリアとの国境に近い街で、

1960年代に冬季オリンピックの開催地として有名になりました。

リヨンから電車で1時間の大学都市で、山に囲まれた、とても綺麗で穏やかな地域でした、

(グルーノーブルの橋の上から)

 

当時、グルノーブルフット38には日本人選手がちらほらおり、

大黒選手ですとか、松井大輔選手、伊藤翔選手がおりました。

チームも1部に上がったり、2部に落ちたりとしていましたが、上位を目指せる

チームになっていました。スポーツサイドには祖母井さんという名GMがおり、

監督とGMの間の、絶大な信頼関係がチームを牽引していたと言っても過言ではありません。

 

祖母井さんと僕の話はまた後日として、2008年ごろになると、I社の勢いにも陰りが見え、

同時にグルノーブルフットの、会社としての業績にもあっつい視線が当てられるようになりました。

スポーツビジネスですから、お金がとてもかかります。選手予算で何十億、年間の運営費で何億、といった感じです。

会社自体はスポーツサイド、バックオフィスサイド合わせて30人にも満たない会社でしたが、予算規模だけはそこそこの規模でした。

また、2008年当時はJ-soxが大流行りしていた時期で、上場していたI社の子会社も同様に同じような規律が求められていました。

そこで、湯水のようにお金の出ていく子会社を監視(止血)すべく、グループ内で人員が募られたのです。

 

続く。。

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